Web2.0(笑)の広告学 「テレビはつまらない」。なのに、ネットでテレビを見る不思議

2006年9月12日 須田 伸
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20060803/107493/

 わからない。わからない。それにしてもわからない。

 冒頭からいったい何の騒ぎだと思われるかもしれませんが、「広告のこれから」に関して日経ビジネスOnlineで連載を持たないかというありがたいオファーを頂戴し、あらためて日ごろから感じていることや、ブログに書いていることを、きちんと整理した文章にまとめ…ようと考えれば考えるほど、「未来のことは正直、わからんなぁ」ということになってしまいました。

 わからないと嘆息している人間に連載を持たせようという編集者も豪儀なものだと思いますが、それ以上に、「わからない」ばかりのこの文章をまだ読んでくださっている皆様にまず感謝です。もう少しばかりお付き合いいただき、「お前さんのわからないということの答えは、もしかしたらこういうことじゃないのか」とお知恵を拝借できれば、未来も見えてくるかもしれないなと、のっけから図々しく期待している次第です。

 「未来」といえば、アルビン・トフラーの近著『富の未来』に、こんな予言があります。

 “明日の先進的な経済では「非マス化」が進んでいく。多様化が進み、大衆ではなく、個人に焦点をあてるようになる。”

(笑)を付けてしまった理由

 トフラーの指摘する大きな変化の波は、既に私が生業としているインターネットと広告を飲み込みつつあります。ブログやSNSでは個人が主役であり、「ロングテール」「Web2.0」といった言葉は、流行語といっていいほど毎日見かけるようになりました。

 しかし右を見ても左を見ても「Web2.0」「Web2.0」の大合唱の中、「1つの言葉に頼り単純化してしまうことは、思考停止につながりはしないか」という疑問を持つようになりました。

 たしかに自分という個人を省みても、ブログで簡単に「情報発信」をしています。アマゾンなどのネット書店やオークションサイトで「死に筋」本や絶版本を手に入れています。ウィキペディアのようなみんなの知恵を結集するサイトも、ほぼ毎日活用しています。

旧来型の広告もまだまだ有効

 その一方、例えば、資生堂が今春発売開始したシャンプーの新ブランド「TSUBAKI」は、多数の人気モデルや女優をキャスティングした豪華なテレビコマーシャルを大量投下し、パッケージデザインや成分にも魅力的な特徴があったこともあり、新ブランドとして大成功をおさめています。旧来型といいますか、まったく「Web2.0」的ではない手法も、いまだ十分に有効なんですね。

 私は、大手広告会社でCMプランナーという経歴を持ち、インターネット総合企業で情報収集と情報発信を現在の仕事にしています。ここは大いに「Web2.0エバンジェリスト」として「CMは既に死んでいる」「あらゆる広告はすべからくインターネット広告になる」といった論を張るべきなのではないか? 

 しかし、いかに言葉が美しくても、現実に即していない議論は非常に危険です。

 インターネット広告の未来を信じている、そしてよりよいものにしたい、と望んでいるからこそ、あえて流行語になってしまった「Web2.0」に「(笑)」を付けることから始めました。

 神棚に奉って拝むのではなく、リアルな議論を読者の皆様としていきたい。この姿勢でインターネットと広告のこれからを考えてみたいと思います。というわけで、題して「Web2.0(笑)の広告学」です。

 広告が今よりおもしろくなれば、社会も一緒におもしろくなるはず、と私は思います。笑う角には福きたる。どうぞよろしくお願いいたします。

「つまらないテレビ」をネットで見るのは何故?

 インターネット上の映像コンテンツは、テレビの地上波放送のコンテンツがアップロードされたものが話題になっています。そう、「YouTube」などの、映像投稿サイトですね。

 テレビは放送時間にしばられるわけで、たとえ録画機器を使っても、過去にさかのぼって録画することはできないのですが、インターネットで「誰かがアップしてくれる」ということになると、映像投稿サイトは「みんなでつくる全番組録画ハードディスク」になってしまいます。

 「極楽とんぼ加藤氏の謝罪コメント」「亀田パパVSやくみつる」「24時間テレビ100キロマラソンでの伴走者の恫喝シーン」などなど。オンエアでは見ていないけど「YouTube」で見た、という人が私のまわりのほとんどです。

 でも、これってちょっと不思議ですよね。

 「テレビはつまらない。見るのはインターネットばかり」と言いながら、インターネットでテレビのコンテンツを見ている、そんな状況が発生しているのです。

 またニュースも、市民記者のような新しい試みも始まっていますが、ヤフーなどのポータルサイトで見る記事の大半は、新聞社や通信社から配信されたニュースです。

 いずれにしても「ネット」「テレビ」と二元化して考えられるほど、単純ではなさそうです。

テレビはネットに融合しないと「片方向」なのか?

 ついでに言ってしまうと、僕はテレビや映画が「片方向(ワンウェイ)」、ネットは双方向(ツーウェイ)、とも単純に考えられないと悩んでしまいます。

 テレビやラジオ、映画などのコンテンツはワンウェイで、インターネットで投票ができたり、主人公が着ている洋服をその場で買えちゃうのが、ツーウェイ。それこそ「ネットと放送の融合」。本当にそうでしょうか? 

 私は優れた映画やテレビ番組は、実はワンウェイではない、と常々感じています。価値のあるコンテンツは、「これ見た?」「あ、見た!見た!すごいよね」ということで、次の人、そしてまた次の人へと伝播していきます。決してどん詰まりのワンウェイではないのです。

 とりわけ高度成長期の頃のように、テレビや新聞といったメディアが限られ、消費者のライフスタイルも「総中流社会」と呼ばれていた時代においては、コンテンツの「同時体験」の可能性が高く、「見た?」という呼びかけに対して「見た!見た!」となったわけです。
 

「同時体験」は双方向“だけ”では生まれない

 しかし今は違います。たとえば学校や職場での「あの記事読んだ?」という問いかけに対して「え、うち、新聞とってないから…」と、同時体験の可能性が低下しています。

 ではそれで「同時体験の時代」は終わりかというとそうではありません。「これ見た?」「いや、見てない」「じゃあ、このサイトにあがってるから見てみろよ」「OK…。…ウォ、これスゴイじゃん!」「だろ!」と、ネットワークの力によって「同時体験の追体験」が出来るようになっているのです。

 インターネットだからといって、やたらと投票企画があったり、その場で買える仕掛けがあっても「ツマランものはツマラン」ので、そこで終了です。「ココロに刺さるコンテンツ」は、ツーウェイどころか、スリーウェイ、フォーウェイと、拡散していきます。

 ネット上で今、テレビ地上波のコンテンツが人気なのも、それが(ネットオリジナルムービーよりも相対的に)「刺さる」ことにより「これ見た?」という伝播を生み出せるからなのです。

 当然のことながらつまらないテレビの番組は、インターネット上においても誰も見ません。

 ワンウェイ、ツーウェイの議論同様、今後のネットコンテンツという市場において、テレビ時代からのオールド陣営が勝つのか、ネットから生まれた新陣営が勝つのか、という議論にもあまり意味がないのではないかと感じています。けっきょくは「イイモノ」が勝つ、という当たり前の結論に行き着くしかないのではないでしょうか。

 テレビの出現により日本映画が衰退したというのも、テレビ放送というインフラが映画館の配給ネットワークという従来のインフラに勝利したということではなく、テレビにファイナンス、人、ネットワークが移行して「イイモノ」が供給されるようになったから、と見ることができるように、です。

当たり前のことから始めよう

 消費者は「それが1.0であるか2.0であるか」「それが広告かコンテンツであるか否か」「それが一方通行か双方向か」には最終的には興味ありません。「自分のココロに刺さるか、刺さらないか」にこそ興味があるのです。

 そして、広告は、刺さるコンテンツにファイナンスする機会を常に求めています。

 これまでは広告主が消費者にリーチする目的と、数の限られているキー局や全国紙、有力な雑誌のコンテンツをファイナンスするだけの費用との間に、バランスが成立してきたとも言えます。

 しかし今、このバランスが崩れつつあます。

 インターネットやゲーム、ケータイ電話と、消費者が接するメディアもデバイス(機器)も多様化し、マスにリーチするのが以前よりも難しくなっているからです。

 「広告予算をより有効に機能する方法に投下したい」と、さまざまな試行錯誤が繰り返されています。

 その試行錯誤のアイデアを、これからいろいろご一緒に考えていきましょう。おそらく結論は…「楽しいものがきっと勝つ」。そんな気持ちと期待を込めて、皆様からのご意見をお待ちしております。