ハイビジョンの普及でテレビ・CMの製作現場が大変なことになっているんですよ。 イトイさんに聞くWeb2.0論(その5)

2006年12月11日 月曜日 瀬川 明秀
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20061207/115110/?ST=nboprint

 えー、今回のテーマはテレビです。これまでのWeb論とは一転、雑談みたくインタビューが始まります。が、途中で突然「ハイビジョンテレビの普及でコンテンツ制作が変わるぞ」といったスルドイ話題が飛び出しますので、気をつけてお読みください。
 話の中には有名人が出てきます。「モーニング娘。」のプロデューサーつんく、「渡る世間は鬼ばかり」の橋田壽賀子、「ロード・オブ・ザ・リング」「キング・コング」監督のピーター・ジャクソン、俳優のオダギリジョー、詩人の谷川俊太郎・・・。時代・ジャンル分けには興味はないと言う(であろう)糸井重里が「今、気になっていること」です。では、しばしおつき合いのほどを。(日経ビジネス 瀬川 明秀)

※この記事は、テキストと動画の組み合わせで多角的にお届けします。ぜひテキスト記事と併せて動画をご覧ください。(日経ビジネスオンライン


NB Online(=NBO) 9月6日に秋篠宮家のご長男(= 悠仁 ひさひと様)がお産まれになりました。その日、テレビ各局では、喜びの声を集めようと東京・新橋などでインタビューをしていました。そのインタビューに出た人の中にあの「高橋名人」が答えていたらしいんです。

 (編集部註:任天堂のゲーム機「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)を巧みに操作することで1985〜90年頃にかけて子供たちから絶大な人気を集めた。現在、ゲーム会社ハドソンの社員)

糸井重里(=糸井) なるほど。

NBO その日、ネットの中では、「彼はテレビに出るために、街中を彷徨っていたんじゃないの」とか、「いや、テレビ局側は知らなかったんじゃない。それでも普通に答えたんじゃないのか」となぜインタビューに出ていたのかファミコン世代が盛り上がっていました。

人間の能力はたいしたことない、からスタートするとうれしいことが増える

糸井 まぁ、本当のことは分かりませんが・・・、「狙っていた」とか「偶然」とかどちらか、一方に決めるのは面白くないなぁ。“両方持っている”のがいいですね。

 そもそも、世の中の人がいつも計算ずくで生きている、と考えるのはどうかと思うんです。人間って、戦略で生きてないですから。「ほぼ日」(=ほぼ日刊イトイ新聞)で、偉い人たちに会ってお話を聞いても、メディアでは前々から考えていたかのように言われるけど、「いや、実は、何も考えていなかった」って言ってますよ。偉い人たちは(笑)。

NBO 確かに、ビジネスフィールドで「戦略」はよく使いますが、一個人では「戦略」ってあまり考えてない。

糸井 人間って、自分が考えているほど頭が良くない、と言いますか、処理能力がないんですよ。本を読んでいても、ロジックを何層も組み立てている文章だとページをまたいだ瞬間に理解できなくなることってあるでしょ。1ページ前に書いてあることなのに。

 「いや、俺は違うけど」とか「え、なんで、できないの?」と言う人がいるかもしれません。だけど、「みんなできるだろ」とか「みんなができているのに俺だけ・・・」と考えていくと、それはエリート主義になっちゃいますから。それだと、「みんなバカばっかり」「分かるやつだけに見せればいい」という気持ちにとらわれる。それは辛いし面白いことはないんです。「人間の能力は自分も含めて、大したことない」ということからスタートすると、うれしいことは増えますね。

 「頭がいい」「頭が悪い」って本当によく聞く言葉です。金融とかIT(情報技術)系企業の勝敗って、どれだけ新しい情報を集めるか、それをいち早く実践できるか、で決まる部分があります。だから、頭のいい人がいれば勝負できると考えられているんでしょう。

糸井 腕のいい技術者たちが武者修行のように「Googleに入りたい」と思っていた時期がありましたよね。「ほぼ日」にもGoogleに勤めている人が、原稿を寄せてくれてたことがあります。その人の原稿を読むとね、それはそれで、面白そうなんですよ。人を集めるのに最高の環境、かつての米サンタフェ研究所に近い「行ってみたい」と思わせる場所なんですよ。

 今の広告モデルのGoogle、超大企業になるとは思ってなかった頃のあのGoogleに集まってきた技術者は、たぶん愉快だったと思うんです。

 それはそれで、いいんです。だって、野球をやっている小学生が「メジャーリーグで投げたい」と思うことと同じだから。メジャーリーグを目指す小学生の気持ちにエリート意識なんてない。純粋に人が持っている「技術」に関心があるだけだから。

NBO 競い合っているのも自分の技術や創造性・・・個人に属している「肉体」に近い世界ですね。

糸井 格闘技の試合の時にアナウンサーや解説者が、「選手たちの肉体に刻まれた知性の競演を楽しもうではありませんか」と冗談めかして言っていました。あれ、冗談っぽいんですけど、ボディに刻まれた知性というものはあるんですね。凄いと思います。踊りを見ている時でもそうだし、スポーツ全般を見ていてもそう思う。その世界では、外にいる他人が良いとか悪いとかを言う必要はない。僕らとしては、ただ尊敬して崇め奉るしかないんですよ。

NBO はい。

つんくの面白さって別にある

糸井 でも、そうした個人の肉体レベルにまで染みこんだ「知性」をね、互いにやり取りすることができるようになれば、明日が面白くなっていくと思っているんです・・・。

 先日、つんくという人に初めて会ったんですが、やっぱり相当面白いなぁと思いました。

NBO  つんくと言えば、「モーニング娘。」のプロデューサーですね。「いくつもの女の子グループを編成しては曲を提供している人」「1000単位で歌詞・曲を量産する人」というイメージがあります。

糸井 「モー娘。」のメンバーって、一言でいえば、やる気のある素人さんですよ。その素人の子たちを芸能界の水準まで鍛え上げて、デビューさせるのがつんくです。彼は芸能界の水準を「75点」という言い方をするんですよ。「芸能界は75点みたいなものだから」と。もちろん、芸能界には75点水準よりも上の人たちがいるんですけど、「75点はちゃんとしてやらなきゃならない」と訓練している。それで、それまで大半の芸能界の人ができなかったリズムで、あの子たちは唄って踊っているんですね。

NBO レベルを引き上げる腕が凄い?

糸井 そう。ただね・・・、つんくの面白さって、別にあることが分かったんです。

 「モー娘。」の女の子たちが踊りながら歌を唄ってます。その姿を見た小学生たちはたぶん真似をします。そうしているとね、これまでの日本人ができなかった不連続リズムの踊りを小学生以下の日本人はできるようになっているんです。それで、日本人のリズム感覚は確実に変わっているの。実は「つんく」はそこまで考えていたんですよ。これは「知性の伝達」です。

NBO  なるほど。

糸井 リズム感って、これまで共有できなかったものでした。言葉で、こうすればいい、と教えられなかったんです。それを「受け渡し可能なもの」に作り替えたのがつんくであり「モー娘。」。彼女たちのおかげで、世のお父さんが子供たちに新しいリズムを教えられるようになったし、一緒に、新しいリズムにのって歌を唄えるようになったんです。

 僕はいろいろできることが良いこととは思っていないんです。だけど、もし、ある人が音楽にのせて自分を表現する時、それ以前よりは「表現できる自分」になるわけですから、それはそれで「生まれてよかった成分」は増えますね。

NBO  つんくは、単に音楽を大量生産しているだけではなかった。

糸井 つんくが6年前に書いた『LOVE論』って、今読んでも面白いんです。『LOVE論』に最初に書いてあるのが「モー娘。」メンバーたちの印象であり評価。最初の子には「この子はお母さんっぽい」と言うんですよ。「お母さんっぽいところをどう出すか」と言う。そんなことを認識できるんです。

NBO 考えてみれば、小説『東京タワー』のリリー・フランキーさんよりもずっと前に、「おかん」「お母さん」というキーワードがふんだんに出ていました。

糸井 あの本の中では、別の子に対しては「この子はすごい笑顔がいい。みんなが魅力的だと思うだろうけど、その笑顔がよすぎるので、なにか人工的な感じがする。そこに悲しさがある。その悲しさには、この子の奥には何があるんだろう、と思わせるものがある・・・」と書いてあるんです。

 彼は人に対しても、自分に対しても、どこか冷徹な目で見ているんですね。「俺がやっていることは、たかが知れている。今、俺がやっていることが国体レベルだとしたら、オリンピックレベルになるにはどうしたらいいか」。そんなことをずーっと考えているんですよ。

NBO 確かに、「モー娘。」のメンバーからして最初は、一般公募の、落選者たちで作っちゃうんだから、目線はぶれていない。

糸井 彼は大阪出身ですよね。彼を含めて関西の人たちって、なぜか京都大学のことをあんまり尊敬していない気がするんです。京大ぐらいならちょっとコツさえあれば入れると思っている。「俺の知っている山田が何かコツを覚えて京大に入ったんだけど、まぁ俺でもできるんだけどね」みたいにね。関西の人の凄みって、よく分からないんだけど、コツという概念がある。「ちょっとしたコツやね」「コツを教えてくれ」とよく言います。つんくの発想の中にもコツ論があるんですよ。

NBO コツ?

糸井 「ここまでは誰でもできる。そのコツはこれ」とか「皆、練習すればここまではできる」という視点。日本人のリズム音痴を克服するにもコツがあるはず、と。その延長線上で、任天堂のゲームソフト「リズム天国」があったんですよ。

 つんくはゲームをやらない人だった。だけど、たまたまゲームを触った。それだけで、「あ、これで、日本人のリズム音痴が無くなるものができる」と考えたんです。それで、自分で企画書を書いて、任天堂に持ち込んだんです。それに対して、あのプログラマー出身の岩田さん(=岩田聡 任天堂社長)が「どうなるか分からないけど、やってもらった方がいいんじゃないの」と決断してしまう。それから、2年半もかけて、ソフトを制作したんです。あのソフトに2年半もかけているんですよ。

NBO  自分で企画書を書いて持ち込んで2年半・・・。

糸井 こんな話の方が、Web2.0を巡る話題よりイマっぽくないですか?

一消費者としてはドンと魂を掴んで欲しい欲しい

NBO  今のコツ論の話で思い出すのが、最近、ネットや本でも読者から「もっと具体的な方法を」「今日のためになるものを」とストレートな要望が増えているということです。

糸井 でしょうね。あと、「一消費者」としては・・・言葉としては何とも使いにくいんですけど、今は「ドンと魂をつかんでくれ」という気持ちがあります。例えば、ハイビジョンの大画面テレビ。あれは「どんと魂をつかんでいます」よ。絶対に。

 NHKが初めて地上波デジタル番組を放映した時、僕、番組のゲストで呼ばれたんです。そこで、スタジオで用意されていたのが大画面テレビ。スタジオでその映像を見た時、「あ、もっと大きなテレビを買いたい」と思いました。

 その時、見たのはカナダだかアフリカの滝。観光客と一緒に滝に行き着く道のりから映してたんです。その画面を見ているだけなのに、観光客のような気持ちになって、「あ、もっと、あっちに行ってみたいなぁ」と思っていた(笑)。聞こえる音は滝の音だけです。それが5.1チャンネルのサラウンドで響いてくるだけなんですけど。

NBO  大きくてキレイな映像があれば、ナレーションとか音楽がいらない・・・

糸井 もう、いらない(笑)。あの画面は何インチだったんだろう。そんなに大きくなかったけど、今なら100インチ以上のテレビとかでも大丈夫。実際、大型テレビを購入したらテレビを見る時間が増えましたから。

NBO  増えたんですか?

糸井 ええ。ほんの少し前まで、大型テレビとか関心無かったんだよ。シャープの大型テレビのCMで、女優の吉永小百合さんが出ていますよね。そのCMを観ながら、いつも「おいおい、それはデカ過ぎるだろ! 吉永さん」とか“ツッコミ”を入れてたんですから(笑)。

NBO  でも、今じゃ・・・

糸井 もう〜問題ない(笑)。

テレビの製作現場では大変なことが起きている

 それでね、このハイビジョンテレビ、大型液晶テレビが売れ始めたことで、コマーシャル、テレビ番組の制作現場では今、大変なことが起こっているんです。

 今のコマーシャルは超ハイクオリティーの画質で作成しても、テレビ局に納めるものは昔ながらのフィルムに1回1回、焼いて納めているんです。だから、ハイビジョンで撮影をしているテレビ番組に比べて、コマーシャルの画質の方が見劣りするんです。ハイビジョンテレビだとすぐ分かります。

 スポーツ中継の番組なんか面白いですよ。汗を流している普通の選手よりコマーシャルに登場する美人タレントさんの方がくすんで見えるんですから。そのCMを見た視聴者はなんだか情報を隠しているように思うでしょうね。

NBO 企業、コマーシャル制作者は気がついている・・・。

糸井 ただ、コマーシャル制作関係者の皆さんにとっては、撮影した映像を1回、1回フィルムに焼く費用も収入源になっているんです。それはそれで大事ですから、簡単には切り替えられないんですね。

NBO デジタルカメラの普及で、街のDPE屋さんや写真家の仕事の内容が変質してきている構図と似ていますね。

糸井 その一方で、テレビ局が制作するコンテンツのハイビジョン化は進んでます。「ハイビジョンになると番組の細部まで見えるのでアラが目立つ。誰もやりたくないし観たくないだろ」と、さんざん言われてきましたよ。たけど、視聴者は気にしていないです。

NBO キレイな映像があれば、納得してしまう。

糸井 だからね、今後、テレビ番組は情報の盛り込み方が変わってきます。これまでの映画とテレビを比べれば、たぶん、映画の脚本は薄くて、テレビの脚本は厚かったと思うんです。

 映画は暗闇の映画館内で巨大画面を見せます。大型スクリーンの中では、登場人物がほとんどしゃべらなくとも、ちょっと目を動かしているだけでも観賞できたんです。

 片や、テレビはもともと小さい画面を前提にして、「ラジオドラマ」として出てきた流れがあるから、台詞が多いですよね。

NBO 小津安二郎監督の映画に対する、橋田壽賀子さんのドラマ「渡る世間は鬼ばかり」ぐらい違う・・・。

糸井 「渡る世間は鬼ばかり」などのテレビドラマって、もともと視聴者が画面から目を離すという前提で作っていますから。ドラマに限らず、テレビの番組は「間」とか「無音」とかは基本的に避けようとしていたと思うんです。

 この流れから考えると、例えば、今のオダギリジョーの人気というのが異質なんです。彼が出てきたのは大画面テレビが普及し始めてからですよ。彼は映画を勉強してきたから、それが影響しているんだと思うんですけど、彼はしゃべらなくとも、顔の表情とか肉体の動きがものすごく“大きい”。だから、ドラマでもコマーシャルでも、しゃべらなくてもいい俳優なんです。オダギリジョーの人気というのは大画面テレビ時代の人気とも言えますよね。

NBO  今後、もっと大画面で見る人が増えるとなると制作者はもちろん、俳優さんも発想を変えないと駄目なんですね。

詩人の時代です

糸井 そうですね。一言で言えば、細部の作り込みが本当に重要になってきます。例えば、映画『ロード・オブ・ザ・リング』『キング・コング』の監督のピーター・ジャクソン。彼がやっていることにテレビは近づいていくと思います。物語は単純、見えている部分もシンプル。だけど、なんだか魅力があり、1つひとつを突っ込んでいけば、深いものがあると感じさせるものがある・・・。

NBO  背後には「大きな物語」が流れていることを、いかにシンプルな絵や言葉で感じさせるか。作り方は大変ですね。

糸井 ですから「詩人」の時代ですよ。「ほぼ日」で詩人・谷川俊太郎さんの連載をやると、ものすごく人気があるんです。どう言ったらいいんでしょうか・・・谷川さんのコンテンツって、「見える」言葉は短いんだけど、「厚み」があるんです。

 ご存じですかね。いろいろな人に聞かれた質問を谷川俊太郎さんが答える「谷川俊太郎質問箱」という連載があるんです。

NBO  はい。

糸井 その中に読者から、「どうして人間は死ぬの? 私は死ぬのはいやだよ、って子供に言われました。どうしたらいいでしょうか」とあるお母さんからの質問があったんです。

NBO それに対して谷川さんは何と?

糸井 谷川さんは「お母さんも死ぬのはいやだよ、と言いながら、ぎゅーっと抱きしめてあげましょう」と答えてくれたんですね。

 もし、お母さんもいやだよ、と言うだけだったら解決しないですよ。でも、相手を抱きしめてあげることで違ってくるんです。それは「ほぼ日」というサイトのテーマでもある「Only is not lonely」のメッセージと同じなんです。人間は一人ひとり。そうなんだけど、抱きしめるだけでも孤独ではなくなるんです。

 谷川さんは抱きしめることにものすごい憧れを抱いている人なんでしょう。それが言葉として出てきたんでしょう。世の中の問題って全部答えをちゃんと言葉で出す必要はない。一緒に抱きしめて、一緒に泣いてあげたっていい、みたいなことをさらっと書けるんですね。それはもうやっぱり、反響がありました。僕も素晴らしいと思った。

NBO 答えが詩になっています。

糸井 こうしたことが言える人がイニシアティブを取ると思っているんです。本質を突き詰めて考えた人とか、「背景」をしっかり持っている人たち。そうした人たちの言葉にみんな、聞き耳を立てているんです。聞きたいと思いませんか?

(続く)