【ヒットの“共犯者”に聞く】 映画「時かけ」の場合II 角川書店・マッドハウスプロデューサーインタビュー その2

2006年12月7日 木曜日 山中 浩之
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20061201/114771/?ST=nboprint

−− しかし、普通に考えれば、これまで6回も「時をかける少女」を作っているのに、なんで7回目をやるのかってことになりますね。

渡邊 ビッグバジェットの、大きな映画としてやりますと言ってしまったら、もともとこれだけの知名度ですし、それこそ、社運をかける映画になっていったと思います。そうすると、もっと大きな広い層にアピールするように、とか、かつての「時かけ」ファンをどんどん取り込まなくちゃ、とか、「こんなに原作をいじるのはいかがなものか」とか、いろいろあったと思います。

保険がどんどん外されていく…

−− そうなりますよね。それが先におっしゃった「冒険できなくなる」ということですか。

渡邊 いやぁ、何よりも、今回の企画がスタートした後で、一番、参ったなと思ったのは(細田監督から)「主人公を代えましょう」と言われた時ですよ。

−− 主人公、すなわち原作の骨子ですよね。原作の主人公、芳山和子に代わって、新ヒロイン、紺野真琴が登場する。

渡邊 監督には「いいですね、そうしましょう」と言いながら、内心は「…これ、会社にどう説明したものか」でした。だってそれは、「保険」を外すということですから。「時をかける少女」なのに「芳山和子」ではありません…、と言ったら、「君、何を作るつもり?」って言われますよね。

齋藤 残る保険は、タイトルだけですね。

渡邊 タイトルも変わるかもしれないじゃないですか。むしろ監督から「変えろ」と言われる、それも考えておかなければいけないかもしれない。

−− タイトルと主人公の名前すら変える覚悟がいるお仕事だったわけですか。

渡邊 でもそこは、丸山さんとも相談した、優れた「小品」を作るという規模を守って、リスクを減らして作る体制を組むので口出しはしないでと…。上司もその辺は、あうんの呼吸で了解してくれました。

−− なるほど。

渡邊 いろいろありましたよ。「時をかける少女−××」とか、サブタイトルを付けろとか。でもサブタイトルを付けると、どうにもしっくりこない。そこで「まあ、まあ」と言いながらなんとなくごまかして、やりたいようにやれたのは良質な「小品」を作るという前提があったから。

−− そうは言っても「もっと儲けろ」というようなプレッシャーはあったと思うんですが。

小規模、非正規だから「投資」もできた

渡邊 僕の所属は、以前はアニメコミック事業部の雑誌グループというところでした。ところが、そこで雑誌を作っていたやつが、なぜかプロデューサーとして映画を作っちゃった。つまり、角川本来の、映像を制作する企画会議や年間計画とは、違うところでスタートしてしまったんです。

−− 非正規部隊として始まった。

渡邊 会社の中でも、あまりない形でのプロジェクトだったと思います。あぁ、プロジェクトと言うと、何人も働いているように聞こえますけど、僕と、前述の井上と安田がいて、その3人だけだった。

 要するに、会社の中で「これはビッグプロジェクトになり得る」と認知される機会があまりなかったとも言えますね。その後メディア部という映像と雑誌出版を統括編成した組織になったので、その辺は解消されたんですが。

−− それがちょうど良いバリアーにもなったわけですね。

齋藤 別の言い方をすれば、人と未来に対する投資ですよ。

 マッドハウスとしては、今回「細田監督が創りたいと思うことを全力で実現させる」というのが、まず大原則としてあった。ただ、マッドハウスも企業ですので、企業としての利益追求という側面も、同じように大原則としてあるわけです。

 ただ、それを押してでも、幾多とあった企業としてのリスクや、スキームとしての課題を容認し、丸山をはじめ経営陣皆が「やろう」と決断出来たのは、細田監督にマッドハウスという新天地で、監督が表現したいことを、自由に、最大限に発揮して、未来へ、彼の新しい息吹を吹き込んだアニメーション作品を生み出して欲しかった。その気持ちがあったからだと思います。

 ビジネス的にもっと突っ込んで言えば、トータルとしてのビジネスの裾野を開拓し、拡げ、利益を生み出していくには、作家やコンテンツを育てるという投資が必要なわけです。

「いいものを作る。売るのは後から考える」

―― 将来、マッドハウスで、例えば「もののけ姫」クラスの作品を生んでもらうために、そういう投資が必要だと。

齋藤 まぁ、それ(先行投資)だけではビジネスが立ちいかないのも現実なのかもしれませんが、今、アニメーションだけではなく、きっといろいろな分野で必要とされ、叫ばれて、でもどこも、なかなか為し得ない「人」と「未来」への投資。これをマッドハウスは昔からやってきましたし、それを必要と信じる気持ちが渡邉さんにも僕にも、柱としてあったと思うんです。

−− それは言い換えると、出来上がる作品に対する自信と、細田監督、こいつならやるだろうという確信があったということですね。

齋藤 今回の企画の「勝負所」は、細田守という、これから世界へと進出していく才能を持つ演出家の才能を、どれだけ結実化させ、具現化していくことが出来るか。そのために、筒井先生から「時をかける少女」という素晴らしい原作を託して頂き、そして、彼が考えることを、それこそ100%具現化してみせようと、多くの優秀なスタッフが結集してくれた。渡邉さんも僕も、プロデューサーとして、そこがすべての出発点であり、始まりであり、今を形作ったもの。最初から一致しているんです。

−− なるほど。では、「細田監督によるアニメ化」に、商売を預かるプロデューサーとしては、どんな心積もりで関わられたんでしょうか。

渡邊 監督は監督で心積もりというのがあると思うんですけど、角川プロデューサーとしての僕の心積もりは、戦略的なことではなくて、まず、「いいものを作る。売るのは後から考える」だったんですよ。

−− 普通逆ですよね。「それ売れるの」とまず考えますよね。なのに、「いいものを作る。売るのは後から考える」。ちょっときれい事にも聞こえますが。

渡邊 売ることを先に考えて作品を作ってしまったら、それはちょっと不安だな、と。いいものを作って、それをどう売るか考えることの方が健全だろうと思っています。マッドハウスの丸山さんも、わりと同じような思想なんじゃないかなと勝手に思ってますけどね。

−− しかし、最初の企画段階では、渡邊さんはまだ細田監督と直接のお知り合いではなかったそうですね。ここが非常に興味深いです。渡邊さんは、なぜ細田氏にそこまで信頼を寄せることが出来たのですかね。

作品が本当に面白いからですよ!

渡邊 それはねぇ、本当に、彼の作った作品が面白いからですよ。いろいろな意味で画期的に面白かったら、それは一緒に仕事をやりたいと思いますよ。あと、ウチの娘がすごい細田作品のファンだから(笑)。

 いや、アニメ雑誌の編集長という立場って、あらゆるアニメを見なきゃいけない。7年間、編集長以前の時代も含めると、20年以上アニメに関わってきました。でも本気で「面白い」と思える作品というのは、そうそう多くはないものですよ。その中でひときわ、細田作品というのは面白かった。彼の名前が付いたものだったら、全部見たいと思わせる作家の1人でしたからね。

 特に彼に注目したのは1999年。徳間書店で「GaZO」という映像雑誌の編集長をしていたときです。当時、細田さんが演出した「ひみつのアッコちゃん」や「ゲゲゲの鬼太郎」のエピソードは衝撃的に面白かった。で、そのことを「GaZO」で話題にしたのが初めだな。

―― 齋藤さんはいかがですか。

齋藤 もちろん絵作りや映像表現もそうですが、細田監督の魅力は何よりも作品が持つ「現代性」と「普遍性」。アニメに限らずエンターテインメントが絶対に必要とする要素を、きちんと併せ持ち、映画という媒体で多くの観客の皆さんの気持ちと一体となり得る世界を創り出せることだと思います。キャラクターが持つ人生観やテーマを含めて、今を実際に生きている観客の皆さんが共感でき、かつ楽しめ、これこそが自分の映画だと思える世界を作りあげ、それをビジュアルとして見せていくことができるんです。

 今、週に100本近くもアニメーションが放映され、乱立乱造だと言われていますよね。その中で、彼は真っ直ぐに、これまでも小さなお子さんの視聴に堪え得る映画を作ってきましたし、そしてこれからも、その多くの子供さんをはじめとする多くの方々の心に残る作品作りが彼の創作意欲の根底にある。そういった視点と魅力ある演出力を併せ持った演出家というのは、本当、本当になかなかいない! しかも、まだお若いですしね。

−− 私も「とにかく、デジモンの映画(デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!)を見ろ!」って、ここにいる波多野さんにずっと前からさんざん言われているんですけど…まだ見ていないんです。もう少し具体的に細田監督の魅力を、まだ見てない人やアニメが分からない人にも分かるように、教えていただけませんか。

渡邊 え、あれ見ていないんですか。絶対に見た方がいいですよ。何を言っているんですか(笑)。見るべきですよ。見てください。

−− すみません。

デジタル化移行を初めて使いこなした“演出家”

渡邊 うーん、そうですね…。映像表現で言うと、細田守という人は、セル画アニメからデジタルに、アニメ業界が移行した時代の、「最初の注目すべき演出家」ということでしょうか。もともと彼は、アニメーターの修業時代、セル画(透明なシートフィルムにアニメの絵を描く)をやっていたんです。セルアニメというのは、いわゆる僕らが、子供の頃からずっと見てきたアニメですね。

−− 我々、30〜40歳前後の世代が見て育ったセルアニメですね。

渡邊 そのセル画を、レンズを通して撮影し、フィルム作品にしていくのがこれまでのアニメーション。それが、だいたい2000年を境にして、急速にデジタル化が進んでいくんですね。セルアニメデジタルアニメは、制作過程に大きな違いがあります。フィルムがなくなるんです。1回は紙に線画を描くんだけど、それを取り込んでデジタル化したら、後の作業はすべてデジタルデータとして、コンピューターの上で行われる。

 そうすると、それを生かした演出手法というのが生まれるわけですよ。画面の処理や、1枚の絵を色合いを変えてもう1回使うとか、そんなことも簡単に出来るわけですね。これまでの特殊撮影は、レンズの使い方であったり、絵を何段にも組むマルチなどの、撮影技術中心だったのが、デジタルによってもっと広がったわけです。いろいろな手法が新たに登場し、結果、表現の枠が広がった。

 細田は、パソコンに慣れ親しみ、そういう技術に対して抵抗のない世代の演出家なんです。そこから、彼独自の演出手法が生み出されたり、あるいは作品の中で取り扱うアイテムに至るまで、非常に現代的なセンスを持っている。

 先ほどの「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」という劇場作品を例にとると、1つのキーになっているのが、インターネット。当時は、ネットが普及し始めた時代で、それもWindowsが95から98になった頃のインターネット事情をよく表しているんですよね。作品中では、ダイヤルアップでネットにつなぐんですけど、ダイヤルアップだからこそ起こるさまざまな問題とか、ちょっと地方に行くとまだネットが整備されていなくてパソコンがつながらないとか、そういうことが物語の重要なキーになっているんです。

 そんな具合に、テーマや演出、そして実際の画面処理の技法も含めて、新しい時代のデジタル化したアイテムを取り入れて作品を作ることができる演出家なんです。

45年前のヒロインを、2006年にアップデート

−− 演出作法だけでなく、作品のテーマも現代にふさわしいものが作れるってことですか。

渡邊 もう一例をあげると、細田作品にルイ・ヴィトンのCM「SUPERFLAT MONOGRAM」というのがあるんです。これは、細田と芸術家・村上隆との出会いがあって、村上隆の作ったポップなキャラクターをデジタルガーデンの中でどう動かしていくかというテーマがあります。それと同時に、作品中でキーになっているのが携帯電話なんです。ちょうどiモードが、ガンガン普及し始めた頃の話ですよ。

 主人公の女の子が、携帯電話を不思議な動物に持っていかれちゃう。それをもう1回探すというショートストーリーなんですけど、携帯を取り戻した女の子は、友達に次々とメールしたり、不思議な動物の写真を撮って送ったりする。ちょうど、写メが流行り始めていた頃なんですね。その時代(とき)、その時代(とき)のデジタル・ガジェットまで含めて、時代のエポックをいち早く取り込み、しかも物語として成立させていけるんです。

−− 「時をかける少女」原作者の筒井康隆さんが、「初めて2代目(のヒロイン)が生まれた」と言っていましたけど、まさにそんな感じなんですね。細田監督によって、主人公が2006年版にアップデートされているという。

渡邊 アップデートされています。45年前の作品を、今、作ろうとしたら、どうなるかということを、彼の視点でちゃんと作っていると思いますね。

−− 確かに今回の「時かけ」を見た後ならば、いま渡邊さんが言われたことがよく分かります。うーん、「デジモン」も、見なくちゃいけませんかね。ところでミーハーな興味ですが、筒井康隆さんにも挨拶に行かれたんですね。

渡邊 シナリオが上がったところで、マッドハウスを通してご本人にお渡ししました。角川から、僕と井上専務(現・常務)がご挨拶に行って、お伺いをたてました。結果として非常に気に入ってくださって、「原作と全く違うところがよい」と言ってくださって。

−− おお、「原作通り」を歩かない(※)ことに好感を持ってくださったんですね。
(※:「原作通り」については久米田康治作「さよなら絶望先生」第53話より)

渡邊 どちらに転ぶか分からないことでしたが、でも今から思えば、筒井先生らしいなと思いますね。文化を変えていくことに対して抵抗がない。そこがいかにも筒井先生らしい。『時をかける少女』という作品自体が、非常にシンプルで力のある、しっかりした作品なので、どうアレンジしてくださっても問題はなかったと、ご本人もおっしゃって。

−− 「R25」のインタビューでしたっけ。まさに、同時代性という部分で言うと、そのままでは今の時代には成り立たないということを、はっきり本人がおっしゃっていた。

渡邊 映画のパンフレットに記者会見の話が出ていますけど、筒井先生は「私も、今作るのであればこういう作り方であろうと思いました」と。

−− これはなかなか言えない、言ってもらえない言葉でしょうね。

渡邊 僕らとしても本当に励みになりましたね。「間違ってないんだ」と思えましたから。「本当の意味での2代目ということになります」という言葉は、僕らも記者会見で初めて聞いて、こんなことまで言ってくれるんだとびっくりしたんですけどね。だって、まだ映画が完成していなくて、シナリオを読んだだけですからね。

監督が見せたい10代は、映画を見ない世代

−− 話を戻しますが、お2人のプロデューサーが「この人のためなら」と見定めた細田監督、そのご本人の心積もりはどうだったんでしょう。この映画のターゲットは誰で、どう見せたい、といったことですが。

渡邊 監督自身は、はっきり10代の男女に見せたいと決めていました。主人公が高校2年生ですから、同世代の、要するに今の中高生。これまでの「時をかける少女」に思い入れのある30代、40代の人たちのために作ったのではないですね。もちろん見て頂くのはありがたいし、理解して欲しいと思っていますけど、ターゲットとしてのメインはあくまでも10代。

−− とおっしゃりつつ、私なんかもそうですが、かつて大林監督(原田知世主演)作品を見た人にとっても、心優しい映画ですね。

渡邊 もちろんリスペクトはしています。監督も非常に大林作品に対するリスペクトは強かったので。

齋藤 でも、出発点として、またモチーフとしてのリスペクトの対象は、やはり筒井先生の原作だと思います。

渡邊 齋藤くんは29歳で、僕はもう47歳で、その中間にいる監督が38歳というふうに、作っている僕らにとっても当然、大林作品の原田知世というのは強くありましたから、尊重はしていました。ただ実際、ロケハンやいろいろな取材で、10代の女の子たち、男の子たちに「時をかける少女」のことを聞いてみると、だいたいみんな、なっち(安倍なつみ)のとか。

−− モーニング娘。の方ですね(2002年放送。TBS「モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ」というオムニバスドラマ3部作の1つ)。

渡邊 ちょっと上の子たちで南野陽子とか、内田有紀(南野版は1985年放送、フジテレビの単発ドラマ。内田版は1994年放送のフジテレビ連続ドラマ)。

−− 「月曜ドラマランド」とか「ボクたちのドラマシリーズ」ですね。

小規模の公開は最適解だったか?

渡邊 原田知世(大林監督の映画)は、10代だと知らないですよ。取材に来てくれる記者さんとか、30代、40代は原田知世でしょうけど、もっと熱烈な人は(NHK少年ドラマシリーズの)「タイムトラベラー」以外は認めないとか。そういう人もいるんですが、僕たちが見せたいと思っていた10代の子たちは、全然、ぴんとこない。

−− しかし、10代に見せたいということになると、非常に少ない映画館での上映というのは、最適解ではないような気がしますけど。

渡邊 そもそも、10代の男女って、今、一番映画館に来ない人たちなんですよ。監督ともよく話したんですけど、(映画館が)「高校生 3人で行くと1000円キャンペーン」とかやっているということは、(高校生が)映画に行かないということなんだと。一番難しい層をターゲットにしたことは自覚していて。要するに、彼らは映画にかける「お金」と「時間」の両方が無い層なんです。

齊藤 それで、観客のプロファイルを見続けていると、最初は男性が多かったんですね。それが、2週目、3週目から女性が次第に増えて、お盆前ぐらいから家族連れ、それに、映画をよくご覧になる、もしくは原作、大林監督の「時かけ」に魅せられていた50〜60代まで見かけるようになって。ついには、女子中高生の皆さんにまで、デートムービーや、友達皆と一緒に行ける映画という形で広がっていきました。

渡邉 結果論で言えば、これでよかったんだろうと思います。高校生という、取りにくいターゲットに対して、最初からそこにフォーカスするのではなく、コアな層にきちんとアピールできて、その話題性で広げていったという結果になったんですね。

齋藤 そこは正しかったと思います。まず良質な作品を持って、確実に細田作品を知っている観客を動かしつつ、この作品を自分の映画として思って頂いた多くの方々の声を、すそ野へ向けて広げていくという宣伝の形がとれたことで、この映画を観て欲しい、特に主人公と同年代の中高生の皆さんの近くに、映画を届けることができた。

(次回へ続く)