企業Webサイト制作現場の“非常識” 第22回 「サルベージ(ゼロから再構築)」と「リニューアル」の不思議な関係

2006/11/24
http://www.nikkeibp.co.jp/netmarketing/column/web_gemba/061124_22th/index.html

気が重い「ゼロから再構築」も意義深い

できれば断りたい依頼のひとつに「サルベージ」がある。といっても、おそらく一部の限られた同業社にしか伝わらないだろう。カッコをつけて「サルベージ」などと呼んでいるが、要するに、なんらかの理由で休眠状態になっているサイトやシステムを、ゼロから再構築することだ。大げさにいえば「スクラップサイト」の「再ビルド」となる。

技術やテクニックのレベルに限れば、なかには興味深いサイトやシステムも、ないわけではない。いわば、他人様がつくったサイトを後から診断するわけだから、スクリプトの流儀(?)や記述の個性らしきものもわかり、それなりに勉強になる部分も多いので、スタッフには歓迎されることもある。

ただ、この「サルベージ」は、一般的に「短納期、低予算、小評価」の「短・低・小」が付きものだ。苦労が大きい割には、それほど報われない傾向がぬぐえない。「できれば断りたい」とネガティブな気持ちになりがちだが、受注側の悲しい習性とでも言おうか、実際に断る例は極めてまれである。

もっとも、大きな苦労が、そのまま単純に苦痛につながることは、それほどない。たしかに、楽しいと思うには少しばかり抵抗がある。けれども、サイトやシステムそれぞれの誕生から休眠までの経過や原因に思いをはせるのは、教訓を得るという側面もあり、意義深く、新規構築とは違う経験を味わえるのは確かである。

そこで、いつも考えてしまうが、「どのくらいの数のサイトやシステムが休眠状態なのだろう」という点だ。多ければ無駄と判断するのは、あまりにも短絡的だろう。とはいえ、持ち込まれてくる休眠サイトやシステムに直面すると、ひどく複雑な気持ちになる。

再編なきサイトやシステムの宿命

どうして休眠状態に陥るのか、その理由は千差万別である。経験的にみれば、システム的な限界が主な理由の一つとして挙げられる(設計が問題な場合もあるが)。コンテンツを生成するシステムでは、表示文字数や画像の表示などに制約が多かったり、生成に時間や手間がかかり、「いつでも、誰でも、簡単に」を達成できなくなった例もある。また、注文や申し込みの受付システムなどでは、多様化する要求に対応できず、使われなくなった場合も少なくない。

かなり評論家的な言い方で申し訳ないが、システムが未成熟であるが故の限界だろう。クライアントからすれば言い訳に聞こえるかもしれないが、制作している時期には、最新で成熟していると思われていたシステムも、ニーズの変化や技術開発により、成熟の余地が、まだまだ残っていたのである。時代の進化についていけなかったといえなくもない。

システム的な限界だけでなく、サイトの目的やテーマが風化してしまったがための休眠も少なくない。なかには、新製品の情報提供など、時間的な経過とともに、その役割を終えることが想定されていた例もある。どちらかといえば、休眠に陥る以前に、目的やテーマを再び練り直すことで、機能を維持できていたかもしれない残念なケースも多い。

とりわけ、目的やテーマが風化するとともに、掲載されている情報の更新は止まり、陳腐化したサイトに直面するのは、かなりつらい。いわゆる「いつアクセスしても、古い情報ばかり」となると、急激にページビューは減少し、ついには“残されたあばら家”状態になってしまう。

もちろん、ほかの理由もあるだろう。しかし、冷静に考えると、何か特別な問題があったから休眠したというよりも、休眠は不可避だったという印象が強い。もともと、サイトやシステムが無限に機能し続けると思うのは幻想なのかもしれない。

目的やテーマの再構成や、最新のシステムの導入など、一定のサイクルで、サイトやシステムは再編されていくべきなのだろう。それを放棄すれば、いつしかサイトやシステムは朽ちていく宿命にあるような気がする。

故障の心配を抱えた“中古車”サイトもある

誤解されるかもしれないが、「サルベージ」されるサイトやシステムは幸運である。などと言うと、休眠状態のまま朽ち果てていくサイトやシステムに比べて……と思われるかもしれない。そうではない。いまも第一線で、日々ページビューを積み重ねているサイトや、黙々と駆動し続けているシステムに比べてである。

休眠状態と現役バリバリを比べて、前者が幸運と聞くと意外に思われるだろう。しかし、「無事これ名馬」とばかり、大きなトラブルもなく働いているサイトやシステムが、すべて完璧(かんぺき)であるとは限らない。もちろん、メンテナンスしてはいるが、それでも不安な部分が、ひとつもないというサイトやシステムは少ない。たとえとしては適切ではないが、経年変化(概念的には異なるが)で故障の心配を抱えた“中古車”状態といったところだろう。

それに対し「サルベージ」されると、原則として「全面見直し」となり、問題点を修正することで、新しく生まれ変わることも不可能ではなくなる。とりわけ、システム的に限界に直面し、その結果、好むと好まざるとにかかわらず休眠状態になってしまった場合は、再構築によって、まったくの“新車”(?)状態でサービスを再開し、好結果を残すことも多い。

その意味では、休眠状態からの再構築は、絶好の機会となる。少なくとも、不安を持ったまま、大きなトラブルもなく機能しているサイトやシステムに比べれば、「短・低・小」という悩みはあるとしても、ゼロから再構築できるだけ、根本的な改善も可能となり、制作現場の心理的な負担は、はるかに少ない。

たしかに、休眠状態にならないサイトやシステムがベストだろう。制作現場にしても、せっかく構築したのに、時間とともに忘れられ、アクセスするユーザーも皆無となってしまうのは、つらい。しかし、逆転の発想ではないが、サイトやシステムに寿命があるとすれば、「サルベージ」という再構築も意味があるような気がする。

必要があればゼロからの改修を

なかには、開設から○年、いまだ第一線で活躍中のサイトやシステムも多い。しかし、そのようなサイトの多くは、何度ものリニューアルを繰り返している。システムも、リニューアルまではいかなくても、手直しを続けている。「最初につくったまま」○年も現役バリバリという例は、ほとんどないといっても過言ではない。

ところが、サイトのリニューアルというと、どうしても、デザインの一新にのみ焦点が集まる。デザインの更新に合わせて、スクリプトの記述や、ハードやWebソフトを見直す例はまれだし、システムの手直しが続くから、思い切って再構築となるケースは皆無に近い。

その結果、デザイン的には斬新でも、ソースをのぞいてみると、屋上に屋根を重ね、さらに壁に穴を開け増築を重ねたようなスクリプトを発見することも少なくない。まるで、中古車のエンジンを新車のボディに載せ、不安を抱えたままの運転という、サイトやシステムが存在しているのも事実である。

それなら「リニューアル」として、ゼロからの再構築に近い改修をすべきだと思うが、現実には難しい。もちろん、基本から改修する企業も少なくないが、過半数以上の企業サイトでは、(必要性は認めたとしても)デザインの更新や、若干の手直しでお茶を濁している印象が残る。

だから、休眠状態に陥り「サルベージ」で「全面見直し」する方が、リニューアルを重ねるより効果的という“暴論”も成り立つ。そもそも、「サルベージ」やリニューアルという表現は無意味だろう。要は、コンテンツやデザインとともに、システムやハードも定期的に見直し、必要があればゼロからの改修も選択すべきなのだ。

サイトが進化し、ニーズも多様化するなかで、システムやハード、あるいはスクリプトも開設当初のままを踏襲し、手直しを重ねていくだけでは、いつかは限界に直面するだろう。「リニューアル」にしても「サルベージ」にしても、時代の進歩に対応した「全面的な改修」を考えておくことも必要な気がしてならない。

そして、サイト構築やシステム運用に不可欠な要素になってしまっている「短・低・小」そのものも、できることなら見直していただきたいものである。

帰ってきた顰蹙の魔王
今は考古学の対象となったパソコン通信の時代。筒井康隆朝日新聞連載小説『朝のガスパール』(1991年10月〜1992年3月 朝日新聞社刊)と、その同時進行ライブ電脳筒井線朝日新聞社刊)に登場。Web制作の現場に密かに生息中。その毒舌が再びよみがえる。