Web2.0(笑)の広告学「崩壊するマス広告」〜16年前の『広告進化論』に書いてあったこと

2007年1月15日 須田 伸
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070112/116807/

 年末に実家に戻った時に、かつての自室の本棚から『広告進化論』(森俊範著 TBSブリタニカ ※当時。現阪急コミュニケーションズ)という本を見つけて手に取りました。

 奥付を見ると1990年10月4日初版とあります。

 おそらく、学生時代の最後に広告会社に就職が決まって、にわかに買った広告関連の本の1つだったと思われます。「思われます」というのは、恥ずかしながらさっぱり記憶にないからです。中のページは汚れも少なく、買っただけで安心してしまい、ちゃんと読まないまま本棚に眠っていたのでしょう。

 今、こんなタイトルで出版されれば、『ウェブ進化論』にあやかりたいのだろうと言われかねないのですが、何しろ16年前につけられたタイトルですから、こちらのほうが先輩です(もちろん本家はダーウィンですけど)。

 しかし驚いたのはタイトル以上にその内容です。

16年前の内容のはずが…

 「16年以上も前に書かれた広告進化論って何が書いてあったのだろう?」と思ってパラパラとページをめくってビックリです。

 全部で5章からなる「広告進化論」ですが、その章タイトルは以下のとおりです。

第1章 崩壊するマスメディア広告
第2章 情報化社会が生み出す情報不足
第3章 逆流しはじめた広告情報
第4章 メディア革命による広告の激変
第5章 「逆方向広告」の誕生

 今、「広告進化論」というタイトルで出版されたとしても不思議ではない内容だと思いませんか。

 各章の中の小項目タイトルも「広告が効かない」「コマーシャル飛ばし見が意味するもの」「パブリシティは、どこまで効果的か」「広告よりも強いくちコミ効果」「誰もが情報コーディネイター」「パーソナルメディアがもたらす意識革命」「生活者情報は、大きな影響力をもつ」「参加型消費社会の到来」といった具合です。

 ハードディスクレコーダーも、インターネットの一般利用もない時代に書かれた本だというのに、実に2007年的であることに衝撃を受けました。

 これを、「16年も前に指摘された変化の大きな潮流だ」と見るか、「16年前から騒いでいるだけで実はあんまり変わってないんじゃないか」と見るか。

 まったく正反対の解釈のようにも思えますが、私はどちらも正しいと考えます。つまり「変わっているようで変わっていないし、変わっていないようで変わっている」ということです。

 そしてここから何を学ぶべきか。

 ひとつには、「テレビCMはもう効かない」と決めつけてしまうことも、「Web2.0なんて単なるバブル」と決めつけてしまうことも、どちらも非常に危険だということ。

 進化は、白か黒かの二元的なものではなく、もっと複合的かつ、漸次的なものと読み取るべきです。だから16年前の「進化論」に学ぶ点が今でもたくさんあるのです。

紅白のアレ、見ましたか?

 例えば紅白歌合戦の視聴率が1960年代、70年代のピーク時に比較して下がっているのは事実ですが、ダンサーの「裸に見える」衣装がニュースになり、文部科学省の大臣が不快感を示す、ということは、現在においてもそれなりの影響力があるという証明でもあります。

 紅白歌合戦を「注目を集めるのにハプニングを必要としているかつての国民的行事番組」と見るか「メディアが分散化する中で現在も続いている数少ない国民的行事番組」と受け取るか。

 ここでもやはり、どちらも「半分正しい」と見るべきでしょう。

 このコラムにおいても、変化について書くことが多いわけですが、それは決して「一晩でガラリと変わる」といったものではなく、海岸に打ち寄せる波の影響のように行ったりきたりを繰り返しながら、徐々に形が変わっていくものだと思います。

 これを踏まえて、2007年に私が考える変化のキーワードをあげてみようと思います。

じっくり ゆっくり のんびり

 変化を読み解くうえでも必要な態度だと思いますが、企業と消費者の対話がより重要になる中で「じっくり ゆっくり のんびり」という態度で企業側が消費者とつき合えるかどうか。これは今年の重要なキーワードになると考えます。

 効率優先で押しつけがましいコミュニケーションはこれまで以上に消費者に嫌われていきます。

 一方で激烈な競争環境にある企業は、自分たちのビジネスワールドにおけるペースを消費者とのコミュニケーションにも持ち込みがちです。

 しかしそんな慌しい社会に暮らしているからこそ、オフィスではビジネスマンであってもひとりの消費者に戻った時には、じっくり、ゆっくり、のんびりしたいという欲求は高まっており、それを無視したコミュニケーションは危険です。

 ただし、「待つ」というコミュニケーションは、広告がもっとも苦手とする態度です。

ついつい効率を求めてしまう

 ブロガーをうまく巻き込んでクチコミ効果を狙う時も、効率発想で考えてしまい、「ヤラセ」「ダマシ」など、フェイクブログとよばれる手段をとることにより、結果的に「炎上」してしまうケースは今年も起こるでしょう。

 それらの事故の原因は、企業と消費者の求めるスピードの違いからきているのだと思います。

 では、どちらが歩み寄るべきか?

 時代の大きな流れは企業が消費者に寄り添うべきという方向に向かっています。消費者に企業の売上目標や月次数字、締め日は関係ないのですから。矛盾しているようですが、売り上げ、利益をあげていくためにこそ、このことを再確認しておくべきでしょう。

「めしどこか たのむ」というリーダーシップ

 みんなが情報発信するCGM(consumer generated media)の時代において、リーダーシップが重要になる、というのは矛盾しているのではないか、と思われる方もいるかもしれません。

 しかし「何でもご自由にどうぞ」だと何をしていいのか戸惑ってしまう人が多いのも事実です。

 みんなが参加したくなるような「お題」を出す、ということも「リーダーシップ」です。「呼び水」「きっかけ」と言い換えてもいいかもしれません。

 どれほどの「リーダーシップが必要か」は、何をするかによっても変わってきます。

 例えば、リナックスは世界中のエンジニアが参加して創りあげているオペレーティングシステムとして知られていますが、「新しいOSを皆でつくろう」という掛け声だけでは現在の姿にはなっていないでしょう。「これつくってみたけど、どう思う? フリーウェアとして公開するから、どんどん修正をかけていってくれないか?」という原型をつくったことで、その後の「共創」が発生したと思うのです。

 「電車男」だって、最初の「めしどこか たのむ」という「きっかけ」があったわけで、「みんなで掲示板を使って何か恋愛ストーリーを書こうよ」と言っていたら、その後の盛り上がりは生まれなかったでしょう。

 「生協の白石さん」も、白石さんという「リーダー」なくしては存在しえないですよね。

 ただし、CGMの時代におけるリーダーシップは、マスメディア全盛時におけるリーダーシップとは異なります。

 「おまえら、ついてこい」ではなく「これちょっと、いじってみない?」だったり「それって、こういうこと?」です。

 押しつけ型ではない、提案型リーダーシップであり質問型リーダーシップです。

 一見、あなたまかせのようですが、「参加したいな」と思わせる「コア」の部分をつくるクリエイティビティは、非常に高度で、突発性や偶然性を生かすなど、従来の押しつけ型とは違ったスキルを必要としています。

 また、そもそもの「リーダーシップ」を企業や広告会社ではなく消費者がとるケースもあります。

2007年も対話とコラボレーションがキーに

 まもなく受験シーズン本番ですが、「受験生のお守りお菓子」としてすっかりお馴染みになった「キットカットで、きっと勝つ伝説」にしても、企業サイドによる受験生に向けた広告コミュニケーションとして始まったのではなく、消費者の中で長年にわたって醸成されてきた「新たな風習」に、企業側がうまく寄り添うことで相乗効果が生まれ、一般化した現象です。

 みんなが盛り上がるストーリーの「きっかけづくり」のリーダーシップを、企業ではなく消費者がとるケースは、今年もきっと見られるでしょう。

 そんな時、企業サイドが「勝手なことをされては困る」という態度では、せっかくのチャンスを潰してしまいかねませんし、手を差し伸べるにしても、消費者の温度とズレがあったのではかえって逆効果になる可能性もあります。

 情報が溢れる時代だからこそ、情報収集力、分析力、判断力が求められる。消費者に対してよく言われることですが、企業側もまったく同じです。

 「これを受け取れ」という一方通行ではなく、消費者の声に耳を傾け、手をつなぎ、対話を通じて、新しい価値を生み出す。対話とコラボレーションは、引き続き2007年の広告コミュニケーションのキーであることは間違いない。

 そして、それは16年前から予言されていました。寄せては返す波の末に、確実に現実になってきているのです。