Web2.0(笑)の広告学 「別にいいよ、広告でも。役に立ってウソ言わなければ」。

2006年12月19日 火曜日 須田 伸
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20061214/115680/

 前回の結びで予告したとおり、今回は「そもそも広告って何だろう」という根っこの話をしようと思います。

 テレビCM、新聞広告、雑誌広告、屋外ビルボード、インターネット上のバナー広告、検索結果連動広告、クチコミキャンペーン、などなど。広告のバラエティはどんどん豊かになっています。その一方で「以前よりも広告が効きにくい」という声もよく聞きます。

 広告を取り巻く環境が目まぐるしく変化する時代において、どんな広告であれば消費者に受け入れられるのでしょうか。

広告の「機能」は江戸時代から変わらない

 あまり哲学的に話をしても、ますますややこしくなりそうなので、広告を「広告の機能」と「広告の形態」に分けて考えることで、シンプルに整理してみようと思います。

 広告の機能とは、すなわち、広告によって得られるべき結果のことです。

 広告の形態とは、広告の機能を達成するために取られる、手段のことです。

 「ネットの登場で広告が変化している」とよく言われますが、実は変化しているのは手段のほう、つまり「広告の形態」であって、広告活動の目的である「広告の機能」は、人間が経済活動をするようになって以来まったく変わっていない、と思うのです。

 広告の機能とは、広告主の商品やサービスを、ターゲットである消費者に知ってもらい、好きになってもらい、購入してもいいかな、と思ってもらうことです。

 その商品を買ってもいいかも、その会社に就職してもいいかも、その政党に投票してもいいかも…と、目的のディテールは広告主によって異なるかもしれませんが、最終的に獲得したいのは消費者の興味・関心です。

 消費者の側から見ても、広告によってその商品のことを知り、興味を喚起させられるという意味からは、広告の機能は今も昔も変化していません。

 日本初のコピーライターは、発明家であり、作家であり、画家であった江戸の才人、平賀源内と言われています。どこまでが真実でどこからが伝説なのか、かなり怪しい部分もあるのですが、知人の鰻屋から「夏場は売り上げが落ちてかなわない」という相談を受けて「夏バテ防止のためにも、土用の丑の日には鰻を食べましょう」という意味の文案(コピー)を考案した、とされています。

 テレビCMを使っていようがいまいが、インターネットを活用していようがいまいが、消費者の興味・関心を引くメッセージを江戸の町に広めて、クライアントである鰻屋さんにお客を集めることが、広告の機能、すなわち達成したいゴールです。

 そして、源内の広告コピーを見て、「暑い盛りの土用の丑に、ウナギというのも、なるほど粋かもね」と、消費者である当時の江戸っ子が思ってくれれば、広告としての機能を果たしたことになります。

 では、広告の機能は源内の時代から変化していない一方で、広告の形態はどうでしょうか? 

「形態」はどんどん変わるが、それは作り手側の問題

 現代における広告メッセージを消費者に届けるための経路、手段は数多くあります。テレビ、新聞、雑誌、ラジオといった従来からのマスメディアに加えて、インターネット広告、街のビルボード、ラッピングバス、クチコミキャンペーン、ダイレクトメールに店頭POP、などなど。

 「広告媒体」と呼ばれる広告の掲出スペースもたくさんありますし、個人のブログやSNS、商品レビューへの書き込みなど、これまでは「広告」として捉えてこられなかったものが、消費者の購買行動に多大な影響を及ぼす、すなわち広告としての「機能」を果たすようになったことから、広告の「形態」として無視できない存在になったものがいくつも出現しています。

 江戸時代にはテレビも、全国紙もありませんから、広告の形態は今とはだいぶ違ったものだったことでしょう。町中に看板を立てたのか、チンドン屋さんを雇って触れ回ってもらったのか、かわら版のようなチラシを刷って配ったのか、どのような広告の形態を源内さんが駆使したのかが気になるところです。

 時が流れて、マスメディアが出現し、広告する、すなわち「広く告げる」という目的において、極めてパワフルな形態として活躍するようになりました。そして今、ネットの登場で様々なメディアが分散して数多く存在するようになり、「広告の形態」も複雑に絡み合う状況になってきています。

 端的な例がグーグルの検索結果ページです。マスメディアが発信するコンテンツも、ブログのような個人メディアが発信するコンテンツも、「検索ワード」という切り口によって、ランクづけこそされるものの、ひとつのページの中に同居しています。このグーグルの検索結果ページというのは、メディアの分散化の象徴的な存在であり、今日的な意味におけるメディアそのものと言うことができるでしょう。

 メディアの分散化が広がれば広がるほど、広告の機能を達成するための、広告の形態も多様化してきた。このことが今日の広告を「複雑になって、難しくなった」と言わしめている原因だと思うのです。でもそれは、送り手側だけの問題、印象ではないでしょうか。

 端的な例を挙げましょう。

 広告主や広告会社、メディアの立場から見ると、メディアが発信するコンテンツは、「記事」と「広告」の2つに分かれます。このふたつの境界線は、明快であるべきとされてきました。番組は番組。広告は広告。きちんと区別できるようにしてください、と。

広告ならダメで、記事ならいいのか?

 ところが実際には、プロダクトプレースメントや、編集タイアップ記事など、「コンテンツの中に広告が入っている」といった手法は昔から存在しましたし、広告の形態が複雑化する中で、「より消費者に届く手法」としてむしろ増えています。

 記事と広告、番組とCMの区別が明確に判断できてしまったのでは、今日の消費者には広告は排除されて注目してもらえないのだから、仕方がない、と論じる人もいます。

 それは本当でしょうか?

 私は今日の消費者の多くは、広告の発信者側が思う以上に進化していると思います

 というのは、情報の発信者という側面を持つようになった今日の消費者は、情報の受け手としてのスキル、すなわち「あらゆる情報の中から自分にとって役立つ部分、楽しい部分だけを抽出して、それ以外は排除してしまう能力」が目覚ましく向上しているからです。

 言い換えると、広告の「形態」は、あまり問題にされなくなった。

 広告であっても、それが自分にとって関係性が高く、役に立ったり、楽しめたりするものであれば、好んでブログやSNSで紹介してくれたり、人に薦めてくれたり、パロディ作品を作ってくれたりと、無視するどころか、送り手サイドと一緒になって楽しんで遊んでくれます。

 その一方で、つまらない広告は無視しますし、自分たちを騙すようなやり方でアプローチしてきた時には、多少複雑であってもそのからくりを見破って一斉攻撃をしかけてきます。

 従って、広告かコンテンツか、区別がつかないような方法を探って、意図的に消費者を騙すようなことは、まったくソロバンが合わない時代になってきているし、今後はますますそうなるに違いないと考えています。

 心に留めておかなければならない一番大切な事実は、消費者にとっては、広告であるか、コンテンツであるか、よりも、「面白いか、つまらないか」「役に立つ情報か、使えない情報か」「誠実なのか、騙そうとしているのか」、のほうがずっと重要だということです。

消費者にとっての最良の広告とは

 では、広告の「機能」である、消費者と広告を通じてコミュニケ−トするにはどうすればいいのか? 回答はシンプルです。消費者にとって、面白くて、役に立って、嘘ではない情報を、発信することです。

 もちろん消費者にとっての「面白さ」の定義も変化しています。その企業、その商品によっても違うでしょうし、そのとき、そのときの社会的な環境によっても変わってくるでしょう。

 日本初と言われる、平賀源内のコピーもきっと当時においては、熱い風呂も「ヌルイ」と言って入る粋な江戸っ子たちから「面白く」「役に立つ」「本当の話」として受け入れられたからこそ、今に残っているに違いありません。

 その広告は、今を生きる誰かにとっての「面白くて正しい情報」になっているか? 広告の送り手は、あらためて広告の機能という原点に戻って考えるべきなのです。

 「このステップを踏めば確実に達成できる」といった魔法のステップは存在しませんが、数多くの試行錯誤の中から、消費者と企業とメディアの、皆にとって楽しくてハッピーなダンスステップが生まれていくものだと思います。

 そんな幸せなステップの実例を、この連載で今後も紹介していければと思います。