Web2.0(笑)の広告学 広告は「お祭り」から「日常」へシフトする 消費者の手を離す恐怖、離さないリスク

2006年10月31日 須田 伸
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20061028/112651/

 前回の記事にはいろいろな反応をいただきました。ありがとうございます。

 今回は話をさらに大胆に進めてみましょう。私は、広告の役割が「非日常」から「日常」へと移行しつつある、と思っているのです。

 毎日見ている広告が「非日常」? ありふれた日常的なモノじゃないの?

 おっと、そう思われるのも無理はありません。でも、広告を打つ側にすれば、あれは間違いなく「非日常」のできごとなのです。

広告はお祭りから、日常の体験へ

 テレビCMに代表される従来型の「マス広告キャンペーン」を企画する仕事は、自分自身でも8年やっていたのでよく分かるのですが、ひと言でいうと「お祭り屋」です。

 新商品の発売開始や雑誌の新創刊や、季節のイベントにあわせたプレゼントの告知など、「いつもとは違いますよ!」とアピールしてみんなの関心をひく。これが、非日常イベント(お祭り)の設計者である、広告クリエイターの仕事です。

 これは消費者に商品が届くように、つまり商品が店頭に並ぶためにも必要なイベントです。コンビニチェーンに代表される強い流通の担当者に、限られた商品陳列スペースの中で「この商品にはいい場所を確保しよう!」という気になってもらうには「タレントは好感度ナンバーワンの伊東美咲を起用します。4週間で 5000GRPのCMを投下して、新聞も全国紙4紙に15段を出します」といった大きな打ち上げ花火が必要だからです。

 もちろんこんなお祭り騒ぎ延々と続けたのでは、商品がいくら売れてもそろばんが合いませんから、発売開始やリニューアルのような大事なタイミングでドーンと花火を打ち上げるのです。

マスで花火を使っても、その熱気が持続しない

 ところがインターネットが一般化し、従来の「勝利の方程式」も変わりつつあります。いくらマスメディアをつかって「スゴイ!最先端のデザイン!最高の味」とやっても、次から次へと別の花火が上がります。そして、「あの商品、なんか実際のところイマイチだったよ」といった声も、マスメディアと同じスピードでインターネットでどんどん広がっていく。

 もはや花火をあげただけでは、私のような“広告屋”は「おつかれさま」と感謝してもらえません。

 今、マーケッターは何を考えるべきなのでしょうか。そのヒントは、消費者の日常生活に参加することにあると考えています。

 非日常から日常へ。これは従来の広告屋にとってとても苦手なことです。

 なぜなら、時間がかかり、効率が悪く、新たな利益機会を喪失しかねないからです。

 お祭り屋はひとつの村の祭りが終わったら、次の村の祭りに行かないと稼げません。なので、「花火は上げときましたんで、あとはご自分で頑張ってください。また花火をご用命の際にはお電話いただければ参上します」と、去って行きたいわけです。

 だらだらと続く「手放れの悪い仕事」は勘弁してほしいものなのです。

「花火の前に、まず街の掃除から」

 ところが、今や消費者のレーダーは、町の営みに例えると、打ち上げ花火だけでは反応しなくて、ゴミの分別収集やら犯罪防止のための治安対策やら、日々のきちんとした運営の延長線上での祭りでなければ、踊りに参加してくれないのです。踊った後のフォローも大切です。

 このため、企業や商品は、コミュニケーションの側面から、消費者の日常生活への参加が必要になっています。

 もちろん「広告は祭り」という側面はこれからもなくなりませんし、大切な要素であり続けると思いますが、それだけで十分という時代は変わろうとしています。

 消費者の日常の中に入っていくとは、具体的にどういうことか。それを考える際に、まず重要な原則があると僕は考えています。

手を離す勇気と、離さないことのリスク

 名奉行大岡越前のお裁きで、親だと名乗る2人に子供の手を引っ張り合わせ「子供のことを思い、先に手を放したほうが本当の親である証拠だ」というくだりがあったと記憶しているのですが、今のマーケッターは消費者の手を離してみる勇気が必要だと思うのです(この場合は消費者のためではなく、明日の我が身のために離すべきなのですが)。

 企業、広告会社、テレビ局、メディアサイドが持っていた消費者をコントロールする力は、消費者側の発信パワーの増大によって、どんどん弱まっていきます。そこで無理やり握る手の力をさらに強くするよりも、むしろ緩めて消費者にゆだねてみる、そんな行動がこれからのマーケッターには必要な気がします。

 消費者をマーケティングターゲットではなく、マーケティングパートナーとして考える。その上で、「消費者の日常に入っていく」ことを考えねばならない。

 これ、言葉だけだと「なるほど」ですが、企業も広告会社も、かなりの覚悟をもってやらないといけない話です。

 消費者をまきこんだ自然発生的な盛り上がりを作りたい。だけど、本当に消費者に任せてしまうと、何をしでかすか分からないから不安だ。

 こんな気持ちに共感する人は多いのではないでしょうか。しかし実は、その気持ちこそが大きなリスクです。

ウォルマートは手を離せなかった

 アメリカの小売チェーン、ウォルマートのPR戦略が炎上したのはまさにこの「手を離せない」ことが原因でした。詳しく説明しましょう。

 平凡なアメリカ人男女2人組、ジムとローラがキャンピングカーに乗り、夜は各地のウォルマートの駐車場にクルマを停めて休みながら全米を旅する。そんな旅行記のブログが「 Wal-Marting Across America 」のはずでした。

 ところが実際には、ローラはフリーのライターで、ジムはワシントンポスト所属のカメラマン。すべてはPR会社「Edelman Worldwide 」が手がけた企画だったということが判明したのです。

 全米クチコミマーケティング協会(WOMMA)も"Honesty of identity: You never obscure your identity."(自分が誰であるかを偽ってはならない)と謳っていますが、この大原則を遵守できなかったのは「本当に消費者に任せてしまうのは怖い」という気持ちがあったからだと思います。

 2人の出自を偽った以外は、この企画は悪くないアイデアだと思います。非日常の旅と、それぞれの町に住む人々の日常、そしてウォルマートという掛け算は、ポジティブな方向に発展する可能性も十分あったと思うのです。

 Edelman社の社長が全面的に謝罪をして火消しに必死ですが、消費者を騙そうとした行為によるダメージは小さくないでしょう。手を離す勇気があればこんなことにはならなかっただろうに、と思わずにはいられません。

シボレー・タホは失敗だったのか?

 そうはいっても…という人々が、CGM(Consumer Generated Media)を広告に用いたケースで失敗例としてしばしば引き合いに出すのが、アメリカの自動車メーカーGMシボレーのSUV車タホ(Tahoe)の事例です。

 今年の春にアメリカで実施された「シボレー・タホCM制作コンテスト」は、映像と音楽はあらかじめ用意されたものから、参加者が組み合わせを変えて使い、CMの間に入れるコピーを書いて挿入した作品でコンテストを行うという企画でした。

 ところがガソリン価格の高騰、混迷するイラク情勢、環境破壊への懸念、といったトレンドも影響したと思うのですが、いくつかの作品は「タホのようなSUV車は燃費が悪く、地球環境にも優しくない。乗るべきではない」。というメッセージのCMを制作したのです。

 シボレーサイドのチェックなしに公開できるようになっていたため、この CNETのニュースにあるようなネガティブな作品が投稿され、それが話題になったのです。

 シボレー・タホは、今年の広告マーケティングのコンベンションで「CGMにはこんなリスクもある」という文脈の中で紹介する格好の事例となってしまいました。

 しかし、これは本当に失敗だったのでしょうか?

 SUVというジャンルのクルマへの風当たりはいずれにせよ強くなっています。このコンテストがなくてもSUV車へ批判的な人はGMおよびタホに対して批判をするでしょう。その一方でこうした山の中まで入っていける大型のSUV車を週末のキャンプなどで活用している人もたくさんいます。

 ですから単純に失敗と決め付けるのもどうかと僕は思います。むしろ多くの人に「SUVに乗るということ」を考えさせ、「それでも乗りたい」というニーズのある人には、消費者を巻き込んだことで強い印象を与えることができたのではないでしょうか。SUV車への反対意見はインターネット上であろうと、リアルな場であろうと、どこにでもあるわけですから。

ペプシが見せた、じょうずな手の離しかた

 最後にペプシが中国で成功させた「手を離す試み」を紹介します。

 これは、台湾生まれのスター、ジェイ・チョウが出演するCMの企画をインターネットで募集するというコンテストですが、フローがしっかりと設計されていました。

  • 1:CMの企画を公募して、ベスト15を選びます。(ベスト15の賞金は各1万人民元、約15万円)
  • 2:ベスト15の中から最高企画をネット投票で決定。(最優秀作品賞金は10万人民元、約150万円)
  • 3:決定した企画に必要な役(ジェイ・チョウの演じる役以外)を演じる人を公募。
  • 4:誰が演じるかを決定するのはオンライン投票。
  • 5:決定したキャストで撮影し、テレビCMが完成後にオンエア

 CMの企画公募には2万6000件以上の応募があり、これは中国の同様の公募型キャンペーンの中でも突出した数字で、キャストへの投票でもSNS掲示板を巻き込んでの盛り上がりをみせました。

 キャンペーンサイトの名前は「百事我創」。なんとなく意味が伝わるのは漢字のおかげですね。

 完成したCMは既にこのサイトにもあがっていますが「まぁ、こんなものかなぁ」というのが正直な感想です。

 ただし、ここで大事なのは最終のCMの出来具合ではなく、むしろペプシペプシユーザーがコミュニケーションするためのプラットフォームとしての盛り上がりを長期間作れた=消費者の日常に入っていくことができた、ことだろうと思います。

 今後はプラットフォームも最高。最終アウトプットも最高。という広告企画が出てくるでしょう。それを作るためには「手を離す勇気」が大切だということを最後にもう一度繰り返して終わりたいと思います。